「何ですって!? 赤と紫をこよなく愛するユリアお嬢様から……ケ、ケバケバしい部屋と言う言葉が出てくるなんて……!」
メイド長は興奮しすぎたのか、ぐらりと身体が大きく傾く。
「キャアッ! メイド長!」
「しっかりして下さい!」 「逝くのはまだ早すぎます!」大げさに騒ぐメイド達。ところでいい加減着替えさせて貰えないだろうか。
「あの、それよりも先に着替えをしたいのだけど! 服は何処にあるのかしら?!」
私は半ばヤケクソになって大声で叫んだ。
「本当に……何もかも覚えていらっしゃらないのですね……」
メイド長が何処からかハンカチを取り出し、額に浮いた汗を拭う。
「だから、さっきからそう言ってるでしょう?」
これ以上話をこじらせないために、多少横柄な態度を取っておいたほうが良いかも知れない。
「これは大変申し訳ございませんでした。ユリアお嬢様の服でしたらお隣のお部屋が衣装部屋となっております。部屋の扉はあちらでございますので、お召し物はお隣のお部屋でお選び下さい」
メイド長が指し示した方向には確かにアーチ型の扉がある。
「え? そうだったの?」
「はい、左様でございます」
まさか隣の部屋が衣装部屋になっているなんて。
「後ほど、このお屋敷の主治医のドクターにユリアお嬢様の診察をお願いしておきますね」
「ええ。そうね。頼むわ」
ドクターに診察してもらえれば、記憶喪失が治るだろうか? しかし、衣装部屋に専属ドクターとは・一体この屋敷はどれだけお金持ちなのだろう?
「それにしても……」
メイド長の言葉はまだ続く。
「どうかした?」
「いえ。記憶が無くなったと言う割にはどこも異常があるように見えませんが……いえ、むしろ今のほうがずっとまともにみえます」
「え? そ、そう?」
すると私の言葉に一斉に頷くメイド達。今までの私って一体、どんな人間だったのだろう……。いや、まずはそんなことより先に着替えだ。
「それじゃ、着替えてくるわ……」
「お、お手伝い致します……」
先程と同じメイドが進み出てくる。ひょっとすると彼女が私専属のメイドだろうか?
「ええ、そうね。手伝って貰えると助かるわ」
何しろ何処に何があるのか今の私にはさっぱり分からないのだから。
「それじゃ、早速着替えをするから一緒に衣装部屋に来てくれる?」
「はい、ユリアお嬢様」
恐らく私専属のメイド? を伴い、衣装部屋へ向かおうとした時にメイド長が声をかけてきた。
「ユリアお嬢様」
「何?」
振り返ると、メイド長は右手に花瓶を持っている。え? 花瓶? いつの間に……。
「これは一体何でしょう?」
戸惑う私にメイド長は大真面目な顔で尋ねてきた。
「花瓶に決まっているでしょう!」
「せ、正解です……」
メイド長は驚いた様子で私を見ている。
全く……この屋敷のメイド達は何処まで人のことを頭が狂った人間だと思っているのだろう?言っておくが私は記憶を無くしただけで決して気が狂ったわけではない。
この先もこんな調子で狂女扱いされては溜まったものではない。ここは少し釘を刺して置いた方が良いかもしれない。
「一つ言っておくけど……」
「は、はい!」
メイド長はビクリと返事をする。
「今後…下らない質問をした時には……容赦しないわよ」
いかにも悪女っぽく言ってみる。
「は、はい!申し訳ございませんでした!」
怯えた顔つきで頭を下げるメイド長。そして他のメイドたちも一斉に頭を下げる。
「それじゃ、衣装部屋に行くわよ」
「は、はい……わ、分かりました……」
私はすっか怯えてしまったメイドを従えて、衣装部屋へと向かった――
私は夢を見ていた……。 夢の中の私は薄暗い森の中をカンテラを持って、何処までも歩いていた。前方には道案内の小さな光が飛んでいる。その光の後を私は必死になって、ついて歩いていた。森の木々がざわめき、時折不気味な鳥の鳴き声が聞こえてくる。今にも恐ろしい獣でも飛び出してきそうで恐ろしかったが、身を護る祈りが込められた護符を持っているからきっと大丈夫なはずだ。恐怖に震えながらも、歩みを進め……目の前が開けたと思うと、小屋が現れた。そして小さな光は小屋の中に吸い込まれていく。「やっと……ここまで辿り着いたわ」小屋に近づき、目の前の扉を緊張の面持ちでノックした。――コンコンすると軋む音と共に扉がひとりでに開いた。ゴクリと息を呑むと扉をくぐり、小屋の中へ足を踏み入れた――*****「……」突然私は目が覚めた。目を開けた途端に眼前には黄金色に輝く天井が飛び込んでくる。「……相変わらず趣味の悪い天井ね……。もう絶対に部屋を変えて貰うんだから……」ゆっくり身体を起こし、ふと考えた。「あれ……私、どうして私ベッドで眠っていたのかしら? 確か学校に行って、その後……」どうもその後の記憶があやふやだ。ただ、夢を見ていたことだけは覚えている。私はどこか森の中を歩いていて……。「ところで今、何時かしら?」太陽の光が部屋の中に差し込んでいる。しかも青い空まで見えるということは少なくとも夕方でないのは確かだ。「時計、時計……」部屋の中をグルリと見渡し、壁に掛けられた時計が目に止まった。時刻は10時を少し過ぎたところだった。「10時10分……ということは朝ね」見た所、私が着ているのはネグリジェのように見える。「起きましょう、まずは着替えね……」そしてベッドから身体を起こした時。――ガチャッ「え?」「ま、まぁ……お嬢様……」扉を開けて部屋の中へ入ってきたのはメイド長だった。手には大きな洗濯かごを持っている。彼女は私を見ると目を見開いた。ドサッ!メイド長は手にしていたかごを床の上に落とし、洗濯物が散乱する。「ユリアお嬢様! 目が覚めたのですね!?」メイド長は私の側に駆け寄ると、いきなり両手を握りしめてきた。「え、ええ……おはよう……でいいかしら? 随分遅い時間まで寝てしまったようだけど……」すっかり朝寝坊をしてしまった。するとメイド長が
「随分親し気に話しているようにも見えますね……。ここからだと遠すぎて何を話しているのか会話の内容を聞くことが出来ません。非常に残念です。あ! テレシアさんがジョンさんに何か手紙の様な物を押し付けてきましたよ。どうするんでしょう……? まぁ! 手紙を受け取りましたよ! しかもその場で開封して中身を見ています。……随分真剣に読んでいますね。それにしても本人の目の前でラブレターを読むなんてジョンさんも凄いですね。尤もテレシアさんもある意味凄いですけど。何しろご自分の書いたラブレターを目の前で読まれてしまっているのですから」ノリーンが感想と実況を交えながら興奮した様子で語っている。けれど……。「本当に……あれはラブレターなのかしら…?」思わずポツリと呟く私にノリーンが不思議そうな顔で私を見る。「ユリア様……?」「いいえ、恐らくあれはラブレターなんかじゃないわ。だってあのジョンが素直に受け取る筈ないもの。恐らく恋文のような物を渡された段階で、鼻で笑って炎の魔法でその場で燃やしかねないわ……いいえ、彼なら絶対にやるに決まっているわ!」「ど、どうしたんですか? ユリア様?」ノリーンが声をかけてきた時…。クルリとジョンがこちらを振り向いた。まさか見つかった!?「隠れて、ノリーン!!」言うや否や、私はノリーンの頭を掴んでグイッと下げさせた。「いい? ノリーン。このまま背をかがめた状態で窓の下に身体が隠れて外から見えないように教室まで歩くのよ」「ええ!? な、何故そんな恰好で歩かなければいけないのですか?」「ジョンに見つからない為よ!」背中を丸めながら歩く私とノリーン。「で、でも何故ジョンさんに見つかってはいけないのですか?」「……分らないわ」「は?」「理由は分らないけど……私の勘が言ってるのよ。今、絶対にジョンに見つかってはいけないって」「は、はぁ……」そして私とノリーンは周囲の冷たい視線と嘲笑を浴びながら教室へと戻った――**** ガラガラガラガラ……走る馬車の中、私は本を呼んでいるジョンの様子をチラチラと伺っていた。「……何ですか? ユリアお嬢様。先程から私の顔をチラチラと見て」まただ、学園を出るとガラッと態度が変わるジョン。「……ねぇ、ジョン……」「何ですか?」「私に何か言うことはないかしら?」「言うこと……あります
午後の授業は『家政学』という授業だった。この授業では貴族令嬢の嗜みとしてのレース編の化粧ポーチを作るというものだったのだが……。フフ……レース編みって楽しいわね。レース糸と編み針を手にした瞬間に懐かしい気持ちが込み上げ、私は迷うこと無くスイスイ編み始めた。他の女子学生たちの中には苦心している人もいたようだが、私はそんなことにも見向きもせずに一心不乱に編み続けていると、不意に脇から驚きの声が上がった。「まぁ! アルフォンスさん! あれ程下手……い、いえ。苦手だったはずのレース編みをいつの間にそんなに上手に編めるようになったのですか!?」「え?」そうだったの? 知らなかった……と言うか、記憶喪失中の私にはそんな記憶すら残ってない。けれども、何故かレース糸と編み針を手にした途端、懐かしい気持ちが込み上げて指が勝手に動き出したのだ。「本当だわ! どうしたのですか?」「なんて美しい網目なの……」「私の分も編んで貰いたいわ」誰もが称賛の声を上げる。「い、いえ。そ、それほどでも……」先生が驚いて目を見張る。他の女子学生たちも興味深げに見つめている。そして気づけば、その日の授業は私が講師になっていた――****キーンコーンカーンコーン……午後の授業が終わり、私は同じ班でレース編みをしたノリーンと一緒に教室に向かっていた。ノリーンは私と同様に魔法を使えないし、互いに親しい友人がいないという共通点もあって、何となく気が合うようになっていた。「それにしても、アルフォンス様……」ノリーンが話しかけてきた。「アルフォンスじゃなくてユリアって呼んでいいわよ。 私だって貴女のことを名前で呼んでいるのだから」出来れば彼女とは仲良くなりたい。「それじゃ、ユリア様。何だかたった数日で本当に別人になってしまったようですね?」ノリーンが言う。そうだ……ジョンの言葉はいまいち信用できないけれども、ノリーンの方がずっとジョンよりも信頼出来そうだ。そこで私は思い切って尋ねることにした。「あの……ね……貴女にだから話すけど……私、実は記憶喪失になってしまったのよ」「え!? 何ですか、その話は!」「ええ。私が学園を休んだ日があったでしょう?」「はい、ありましたね」「あの前日に池に落ちてしまって、気を失ってしまったのよ。そして目が覚めたら綺麗サッパリ記憶を失って
「ねぇ! 待ってよ、ジョン!」ズンズン歩いていくジョンを追いかけて声をかけると、彼は立ち止まって振り向いた。「来たか、ユリア」「来たか、じゃないわよ。ねぇ、さっきのベルナルド王子の話だけど、あの噂を広めたのはジョンじゃないの?」教室目指して2人で歩き始めると、ジョンは頷く。「ああ、そうだ。俺が周囲に言いふらしたのだ。お陰であっという間に噂が広がってくれた。それにしてもユリアのくせに俺が噂の出どころだと良く見抜いたな? 最近大分勘が良くなってきたんじゃないのか? 褒めてやるぞ」そう言って振り向くと頭を撫でてくる。しかし、そんなことを褒められても少しも嬉しくないし、なんだか馬鹿にされているようにも思える。悪びれることもなく、堂々としているジョンに危うく切れそうになってしまった。「はぁ〜? ちょっと酷いんじゃないの? 何故そんな噂を言いふらすのよ!」再び歩き始める私達。「決まっているだろう? ベルナルド王子のお前に対する好感度を下げるためだ」「え? 何故!?」ま、まさか……ジョンは私のことをす、好きだから…?すると前方を歩いていたジョンが振り返った。「おい、何だ? その目つきは……言っておくがお前のことを好きだからとか言う考えなら大間違いだからな? 俺にだって選ぶ権利くらいある」とことん失礼な言い方をする男だ。けれどジョンの言葉を一々真に受けていては身が持たない。「それなら何故ベルナルド王子の好感度を下げる必要があったの?」「分からないのか? ユリアが王子のことを迷惑に思っていたからだろう? 不思議なことに今のベルナルド王子はユリアのことを意識している。このまま放置しておけば、今に婚約式を上げ、そのまま結婚式へとなだれ込む可能性もある。そんなのは迷惑極まりないだろう?」大真面目に言うジョン。「アハハハ……何言ってるのよ。そんなはずないでしょう? あのベルナルド王子が私のことを意識しているだなんて」「何だ? 真に受けていたのか? 冗談に決まっているだろう?」「はぁ!? あ、あのねぇ!」「とにかく! 昨日、王子がどんな意図でユリアを尋ねてきたのかは知らないが興味を抱いて来ているのは確かなのだ。付きまとわれるのは嫌だろう?」「ええ……まぁ確かに付きまとわれるのは嫌だけど……でも、王子はあの出鱈目な噂を流したのは私ではないかと疑ってい
「それで? 一体俺のせいでどんな不名誉な噂を立てられているですって?」ジョンはベルナルド王子の方を見ようともせずに、ビーフシチューを口にした。「お、お前……空腹の人間の前でよくも図々しく食事が出来るな……」ベルナルド王子は殺気がこもった目でジョンを睨みつけている。……やはり食べ物の恨みというのは恐ろしい。私は慌てて手にしていたスプーンを離した。「どうした? もう食べるのをやめるのか?」そんな私を見て不思議そうに尋ねるジョン。「いいえ。そうではないわ。ただ、お腹をすかせて食事が届けられるのを待っているベルナルド王子の前で美味しそうに食事を摂るのはあまりにも失礼では無いかしらと思って、やめることにしたのよ」「ユリア……お前……」王子が感心? したような目で私を見る。「そうか? 別に気にすることはないだろう? どうせベルナルド王子の腰巾着達が食事を運んでくるだろうから」何と、ジョンは私が心のなかで思っていた『腰巾着』という単語をベルナルド王子の前で使ってしまった!その時――「誰が腰巾着だって?」いつに間に料理を運んできたのか、そこにはAランチが乗ったトレーを手にした3人の腰巾着達が立っていた。「言っておくが、俺達だって好きで仕えているわけじゃない!」「ああ、そうだ。親の命令だから仕方なく仕えているのだ」マテオ以下、2名の腰巾着達が口々にジョンに文句を言う。「何!? お前たち……俺に人望があるから仕えているのでは無かったのか!?」驚くベルナルド王子。「はぁ? ふざけないでいただきたい。そんなはず無いでしょう?」銀の髪の青年がふてくされる。「ほら、冷めないようにさっさと食べてくださいよ」青い髪の青年が王子の前にAランチが乗ったトレーをガチャンと乱暴に置いた。危うくシチューが飛び散って制服につきそうになる。私はセーフだったが、ベルナルド王子の制服の袖口にはシチューが飛び散る。「おい! 乱暴に置くな! シチューが飛び散っただろう!?」ペーパーナフキンでシチューの汚れを取りながら当然のように文句を言うベルナルド王子。「文句を言うなら、初めから俺達に頼まなければいいでしょう?」マテオが仏頂面で着席した。「何だと!?」眉間にシワが寄るベルナルド王子。……どれだけベルナルド王子は嫌われているのだろう。ふと、向かい側に座るジョンを
「話……ですか?」何だろう? この突き刺さるような、敵意の込められた視線は。少なくとも、今朝理事長室まで連れて行ってくれた時には、これほどまでにベルナルド王子は不機嫌では無かった。「ああ、そうだ。俺とお前のことで非常に不愉快なデマが飛んでいる。そのことについて話がある」「デマ…」なるほど、デマのせいでこれほどまでにベルナルド王子は機嫌を悪くしてしまったのか。「分かりました、どの様なデマか伺いましょう。ですが手短にお願い出来ます。もうそろそろジョンが戻って参りますので」ただでさえ、面倒そうな話だ。そんな話の最中に私にとって、もはやトラブルメーカーになりつつあるジョンが絡めば、もっと話はこじれてくるに違いない。「ジョンだと……?」ジョンの名前を持ち出した途端、ただでさえ不機嫌そうなベルナルド王子の眉が一層つり上がった。「そう、そのジョンという男とお前のせいで今俺は不名誉な噂を立てられているのだ! 責任を取れっ!」そして勢いよく私を指さしてくる。「え……? 不名誉な噂ですか?」一体どんな噂なのだろう? 首を傾げると、ますますベルナルド王子がヒートアップする。「そうやって、とぼける気か? なんて図々しい奴なのだ」ベルナルド王子が身体を震わせたその時――「ほぉ〜。中々面白そうな話ですね。一体そのデマとやらを聞かせていただけますか?」いつの間に戻って来たのか、2人分の食事が乗ったトレーを持ってベルナルド王子の背後にジョンが立っていた。 「ジョン!」「うわっ! お、お前……! 驚かせるな!」ベルナルド王子が声をあげながら椅子から転げ落ちそうになる。「そうだ! 不意打ちはやめろ」「ベルナルド王子は気が弱いお方なんだぞ!」銀の髪と青い髪の青年がジョンに何とも情けない文句を言う。しかし……何故かマテオだけは口を閉ざしている。「?」ベルナルド王子の腰巾着なのに何故マテオは黙っているのだろう? すると私の視線に気付いたのか、マテオが私の方を振り向き……一瞬顔を赤らめると視線をそらされてしまった。 一方のジョンは3人の文句を意に介すこともせず、2人分の料理が乗ったトレーをテーブルの上に置いた。「待たせたな、ユリア。混雑していて中々料理を受け取れなかったんだ」「いいえ、そんなこと無いわよ。早かったと思うけど? 美味しそうね?」トレーの